ご由緒
石上神宮年表(詳細)
天 皇 年 号 西 暦 事 項
(神 代)  武甕雷神、 経津主神に副って出雲国稲佐浜に天降り、 大国主命に国譲りを命ぜらる。 この時神剣韴霊を携行せらる。
神武即位前1年 天皇熊野にて御遭難。 高倉下命より神剣韴霊を献られて難を避けらる。
 元年 宇摩志麻治命、 十種神宝を以て天皇・皇后の無窮を祈らる (鎮魂祭の始まり)。 天皇、韴霊と十種神宝とを宮中に祀らしめらる。
崇神7年 物部氏の祖伊香色雄命、 勅により韴霊・十種神宝を大和国山辺郡石上邑に遷し、 石上神宮を創祀す。
垂仁39年 五十瓊敷命、 茅渟の菟砥川上宮にて剣1000口をつくられ、 これを石上神宮に納めらる。 その後勅により五十瓊敷命石上神宮の神宝を司らる。
 87年 大中姫、 五十瓊敷命より神宝の管理を委ねられるも辞退され、 物部十千根大連に管理せしめらる。
  (御 代)  丹波国桑田村の人甕襲が献ぜし8尺瓊勾玉を石上神宮に納む。
神功皇后摂政52年 百済国の使者久氐らが七枝刀・七子鏡等の重宝を献ずる。
仁徳 (御 代)  市川臣命、 布都努斯神社を石上郷の布瑠村の高庭の地に祀り、 神主となる。
履中即 位 前 年 天皇、 皇太子の時、 乱により石上振神宮に避難せらる。
 4年 石上溝を掘る。
雄略3年 阿閇臣国見、 石上神宮に逃げ隠る。
天武3年674忍壁皇子、 膏油にて神宝を瑩かる。 その折勅により諸氏族献納の宝物をその子孫に返還せらる。
  (御 代)  布留川上の日谷に草薙剣の御霊天降らる。 出雲建雄神と称えて石上神宮の前の岡の上に祀る (出雲建雄神社の創祀)。
聖武天平2年730 『大倭国正税帳』 山辺郡に振神戸見ゆ。
称徳神護景雲2年768石上神に封50戸充てらる。
桓武延暦23年804造石上神宮使正五位下石川朝臣吉備人ら石上神宮の器仗を山城国葛野郡に搬出す。 計画では延157,000人を計上す。
 延暦24年805天皇、 石上大神に神宝搬出を謝し病気平癒を祈る宣命を発せらる。 その後葛野郡に搬出せし器仗を石上神宮に返納せらる。
平城大同元年806 「大同元年牒」 に石上神神封80戸と見ゆ。
文徳嘉祥3年850石上神正三位を授けらる。
清和貞観元年859石上神従一位に進めらる。
   掃部頭従五位上藤原朝臣貞敏を大神宝使として差遣し、 即位の由を奉告さる。
   石上神に奉幣し風雨を祈られる。
 貞観5年863石上神社の南に5色の雲見ゆと大和国より言上す。
 貞観8年866大和国田28町を石上神宮寺に借施入せらる。
 貞観9年867石上神正一位に進めらる。
   石上神山を焼いての耕作を禁止せらる。
醍醐延長5年927 『延喜式』 成る。
村上応和4年964造石上社使望實卒去し、 大蔵満世補せられる。
白河永保元年1081天皇、 宮中の神嘉殿を拝殿として寄進移築し、 神門を改め殿舎を造営せしめらる。
   参議源俊明を勅使として遣し奉幣の上走馬10列を奉らる (例祭の始まり)。
堀河寛治6年1092白河上皇御幸せらる (例祭渡御これを模して始めらる)。
後宇多建治3年1277布留神領相論により、 布留社と大和社の両者ツブテにて打合う。
 弘安5年1282布留神主布留山の事を訴申す。
   春日強訴に神主左兵衛尉宗継鉄楯外神宝と同行す。
 弘安8年1285布留大明神山伐採せし悪党を興福寺へ落書起請す。
伏見弘安11年1288散位藤原朝臣行兼を大神宝使として差遣し、 即位の由を奉告さる。
後醍醐文保2年1318楼門建造さる。
後光厳貞治5年1366春日強訴に布留大明神の神宝同行す。
 応安2年1369布留大明神御鎧唐櫃を作る。
後円融 永和2年1376梵鐘を鋳造し楼門に懸く。
後土御門文明2年1470拝殿修覆す。
 文明12年1480雨乞成就の報賽に相撲を奉納す。 以後、 徳川幕末まで祈雨ならびに報賽のこと史料に多く見ゆ。
後柏原永正13年1516宝蔵 (神庫) 修覆す。
正親町永禄6年1563興福寺より率川神社造替の為、 用材要請に対し松永久秀へ訴状を提す。
 永禄11年1568尾張勢社頭に乱入し拝殿・宝蔵等を打破す。 宝物盗難にかかる。
 元亀元年1570拝殿・宝蔵・廻廊・庵室等修覆す。 「布留社式目」 を後代の為に作成す。
 天正13年1585社領没収せらる。
後水尾慶長19年1614宝物盗難にかかる。
 元和4年1618布留宮山の伐木殺生禁止の布告出る。
明正寛永20年1643禁足地端垣を木材にて建立す。
霊元寛文7年1667布留大橋懸る。 以後幕末まで屢懸替あり。
 延宝7年1679この頃境内36町6反5畝。
 貞享元年1684拝殿修覆す。
 貞享2年1685禁足地瑞垣を石材に改む。
 貞享3年1686神道潅頂あり。
東山元禄7年1694彰考館史臣大串元善、 水戸光圀の命により神庫の神宝を調査す。
 元禄12年1699梅園惟朝、 高政富の需に応じ 『石上大明神縁起』 を著わす。
 宝永4年1707地震のため西廻廊倒壊す。
中御門享保6年1721西廻廊再建す。
 享保18年1733拝殿修覆す。
桜町享保21年1736川原城に布留大明神の鳥居を建立す。 以後幕末まで数度建替あり。
 元文5年1740拝殿修覆す。
光格寛政10年1798拝殿修覆す。
孝明嘉永3年1850神庫に盗賊侵入す。
 嘉永4年1851宝庫 (神庫) 建替す。
 嘉永6年1853外国船来航に付き朝廷より国家安静の御祈祷仰せつけらる。 安政元・2・3・5・6年にも同じ事あり。
 安政6年1859拝殿修覆す。
 文久2年1862朝廷より奉納米30石を賜う。
 文久3年1863国家安静のため17日間の御祈祷仰せつけらる。
明治明治2年1869神祇官直支配社となる。
 明治4年1871官幣大社に列せらる。
 明治5年1872蜷川式胤神庫の神宝を調査す。
 明治6年1873菅政友大宮司に任ぜられる。
 明治7年1874禁足地発掘、 神剣韴霊顕現せらる。
 明治9年1876富岡百錬、 少宮司に任ぜらる。
 明治11年1878拝殿背後に仮本殿を建てる。
 明治16年1883神宮号復旧の旨達せらる。
 明治43年1910本殿建立工事を始む。
 明治45年1912神庫を禁足地内に移築す。
大正大正2年1913本殿竣功し正遷座祭を斎行す。
 大正3年1914旧内山永久寺鎮守社拝殿を摂社出雲建雄神社拝殿として移築す。 この時内山永久寺跡の本堂池より鏡池へワタカを移す。
 大正4年1915御大典記念事業の一つとして神剣渡御祭を復興す。
 大正6年1917皇太子殿下 (昭和天皇) 行啓参拝せらる。
昭和昭和7年1932廻廊新築落成す。
 昭和15年1940拝殿前の舞殿を鏡池の傍へ移し休憩所とす。
   社務所新築落成す。
 昭和55年1980宝物収蔵庫・儀式殿・参集殿造営成る。
 昭和58年1983本殿屋根葺替成り本殿遷座祭を斎行す。
 昭和62年1987拝殿・楼門修覆す。
今上平成2年1990末社神田神社現在地に遷座す。
 平成8年1996鏡池改修成る。
 平成9年1997長生殿新築落成す。
境内MAP 石上神宮の歩き方 石上神宮フォトログ「山の辺の杜から」 山の辺の道 周辺ガイド&花ごよみ
神話にみる石上神宮
神話にみる石上神宮