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石上神宮[いそのかみじんぐう]公式サイト

石上神宮

鏡池(かがみいけ)と「ワタカ( 奈良県指定天然記念物 )

鏡池鏡池は、江戸時代の絵図から往古には「石上池」と呼ばれていたことが知られます。この池には、奈良県の天然記念物に指定されているワタカという魚が生息しています。
ワタカは我が国特産の鯉科の淡水産硬骨魚で、体は細長くてひらたく、頭は小さく眼は大きく、体色は背部が緑青色である他は銀白色です。別名を「馬魚(ばぎょ)」といいますが、その由来については次の様な伝説があります。

南北朝時代、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が吉野に御潜幸になる途中、内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の萱御所(かやのごしょ)に入御せられました。その時、天皇のあとを追って赤松円心(あかまつえんしん)等の軍勢も当神宮の辺に到着し、軍馬がしきりに嘶(いなな)きました。天皇の御乗馬がこれに応じて嘶こうとしたため、天皇の従者は円心等にさとられるのを憂い、御乗馬の首を斬って本堂前の池に投じました。その後、本堂池に草を食べる魚が住みつくようになり、人々はこれは御乗馬の首が魚になったのだと考え、「馬魚」と呼ぶようになったと伝えられています。

当神宮の鏡池のワタカは、大正3年に内山永久寺跡の本堂池から移したもので、この時に東大寺中門前の鏡池にも移されています。
また次のような昔話もあります。
説話 『ワタカ』

南北朝の動乱の時代、世の中から追われる身であった後醍醐天皇は、都を落ちのび、笠置から吉野へ向かっておられました。お忍びで山坂を越え、ようやく今の天理にあった内山永久寺にたどりつかれたのです。
後醍醐天皇もそのご乗馬も、ほっとしたのもつかの間、天皇のご乗馬は疲れが出て力が尽きたのでしょうか、池のほとりで倒れてしまいました。天皇は、倒れた馬を介抱して、一生懸命助けようとなさいました。

「おい、しっかりしてくれ。元気を出してくれ。私のためによくここまでがんばってくれたのに」と、たてがみをなでて励ましましたが、なすすべもなく、馬は虫の息で天皇に申しました。
「天皇さま、私は吉野までお供しとうございました。しかし、私にはもうその力がございません。吉野まで行けないのが残念で、死んでも死にきれません。私はこの池に入って魚になり、天皇さまのお側については参れませんが、道中のご無事を祈り続けております。先立つ罪をお許しください」と最期(さいご)の言葉を残し、馬は息絶えてしまいました。

馬の亡霊が、その池の魚にのりうつったのでしょうか。魚の顔は馬の顔になっていました。そして、草を食べる魚と珍しがられるようになりました。その魚が天皇のご無事を祈り続け、お守りしたのでしょう。寂しくご出発になられた天皇は、つつがなく旅を続けられ、無事に吉野にお着きになったということです。

馬の顔をした魚は、この本堂池だけでなく、奈良東大寺の鏡池や石上神宮の池にもすんでおり、いずれも本堂池から移されたものです。この馬魚の実名はワタカといって、琵琶湖と淀川にすんでいる日本特産の魚だそうです。誰かが淀川付近のワタカをこの本堂池へ放ったのが繁殖したのだろうといわれています。
馬魚が草を食べることから、そして後醍醐天皇のご乗馬がこの池のほとりで死んだことから、この伝説が生まれたのでしょう。

印刷用PDFデータ 石上神宮フォトログ「山の辺の杜から」 山の辺の道 周辺ガイド&花ごよみ
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